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2008年11月

むかしばなし

隣村・柳谷のむかしばなし
子供の頃、おばあちゃんに狸や狐に化かされるから気ぃつけやぁー と話を聞かされたが昔は結構そういうことがあったのかなあ。(熊野市史より)
<木挽きと古狸>
 昔、一人の木挽きがいた。毎日毎日一人で小屋にいると狸がおかみさんになって訪ねて来る。「トト、子供負うて来た」というので毎日ご飯を食べさせていた。カカとトトは囲炉裏に向かい合って座っていた。するとジャージャーと音がする。それは毛の焼ける音だった。男はカカと違うと気づいて、ある日、丸い石を焼いておいた。その日もカカが「庄屋からジョウノを持って来いといわれた」とやって来た。男は「ご飯を食べて行け」といった。カカは子供にも食べさせてやった。その日も毛が焼ける音がしていたのでやっぱりおかしいと思い、焼けた石を、「赤だんごをやろう」といって火箸ではさんで手の中にのせてやった。すると、「ワァー トトは焼いたよ」と泣いてカカは逃げて帰った。男はこれは本物のカカじゃないのかと心配になって家に帰ると、カカは子を背負うて家のことをしている。男は「山に来やせなんだか」と聞くとカカはいかないと答えた。「狸は床下に入るものだから床下で死んどるかも」というので行ってみると大きな古狸が切り株をかずらで背おうて死んでおった。〔神川ー柳谷〕

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立派な石垣と言えば・・

亀の甲羅のような形の石積みといえば、熊野市木本町の旧奥川家;現 紀南ツアーデザインセンターの正面の石垣である。
一つひとつの石の正確な整形といい、少しの狂いもなく積まれていて、相当の高い技術を持った石工の仕事と思う。
碇の中畑家の隠居の石垣とは違い、背丈より高く積まれている。
Tdc_2

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一見の価値あり!石垣

碇・中畑家の隠居の屋敷にある石垣・・
精巧に石を一つひとつ亀の甲に形づくって、石と石との隙間はまったくなく草1本生えない
まさにプロの仕事。
93歳の伯父さんの話では、石一つあたり1日がかりで造ったと聞いているとのこと。
屋敷側は、まーるくふくらみを持たせ、外は1枚の板のように真っ直ぐ斬ったように積まれている。
  屋敷側(内側) Img_4512

 

 

  外側Img_4513_2

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征夷大将軍 坂上田村麻呂公

今日は土山(滋賀県)へ出かけた。マラソンへ出場するためだ。いつもの事ながら土山を走ると沿道からの応援により非常にたくさんの元気をもらう。 コース沿いの後半には家の軒先にあったかいお茶やバナナ、蒸しパン、おにぎりなどたくさんのおもてなしを用意してランナーのサポートをしてくれる。
田んぼの中のコース沿いまで運んできて、お菓子や飲物、サロンパススプレーまで用意して待っててくれる。有り難い事である。おかげで無事完走することができた。

走り終えてから、会場近くの田村神社に立寄った。何回かきているが本殿まで足を踏Img_4391み入れたのは初めてのこと。拝殿(工事中)と本殿が離れているのが不思議な感じがした。また禊場というところが境内に人工的に造られていることも。田村神社は征夷大将軍・坂上田村麻呂公を主祭神として、嵯峨天皇および倭姫命(やまとひめのみこと)をお祭りしているとのこと。

将軍 坂上田村麻呂というと、熊野でも田村麻呂公が鬼の岩屋に棲む熊野の海賊多娥丸(たがまる)を征伐し、首を地中に埋め、その上に社殿を建てたのが始まりと伝えられる熊野国総鎮守を名乗る大馬神社がある。
修験者が修行をしていたという清滝は社殿右横から滝の近くまで登っていくことができ、マイナスイオンをしっかり浴びることができる。
最も興味深いのが神社境内に狛犬がいないこと・・狛犬は海岸にあるあの獅子巖(ししいわ)だという。だれが考え出したのか?・・スケールの大きな話である。

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嶺泉寺の寺宝~三種の能面~

神上(こうのうえ)の上山神社には、元々碇に鎮座していた氏神飛鳥神社ならびに山寺権現そして吉田大明神が境内に祀られている。この旧飛鳥神社と山寺権現の二社の別当寺が神上の嶺泉寺(れいせんじ)〈弘治2年(1556)開山〉だったそうだ。
その嶺泉寺の寺宝として、熊野市の指定文化財にも指定されている能面がある。もともとは上山神社の雨乞い神事に使われていたそうで、「十寸髪」は桃山時代の作らしい。

ということは、時代を遡ればこの能面は飛鳥神社か山寺権現で使われていたということ。もしやして、さらに元の碇の雨乞い神事の時に使われていたのかも知れない。

追記:熊野市史には、「昔、この〔碇〕の山寺権現の祭りは正月21日で、青年たちが獅子舞と剣舞を舞っていたと伝わっている。」と書かれている。

次は熊野市の指定看板の説明およびその写真である。
~熊野市指定文化財 有形文化財 彫刻能面 嶺泉寺~
右,十寸髪(ますかみ) 和紙下張の上に彩色されているが彩色彩落、和紙の剥離した部分がある。桃山時代の作。
中,小面(こおもて)    彩色が剥落し、生地木目のみえる部分が多い。江戸時代初期の作。
左,翁(おきな)       彩色は完全に残っているが全体に汚れがあり顎の植毛は大部分脱落し飾り眉も落失している。
 これらの能面は、往時、当地方の農耕地に雨乞神事面として木地師によって導入されたものと考えられる。
小面の裏に「大蔵云々」の墨書銘が読みとれる。
    Img_2734_3

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